みなさま こんばんは。
本日はドラマ「瓔珞(エイラク)」に登場するイケメン「富察傅恒(フチャ・フーハン)」の歴史上のモデルについて探っていきたいと思います。今日しみじみと汀羅母と語ってたんですがやっぱり無理矢理にでも瓔珞と結婚してた方が傅恒様は幸せな人生を送れたんじゃないかと。
瓔珞の登場人物は不幸すぎ!😭
唯一最終的に幸せだったのって乾隆帝と瓔珞だけですか?!それもいかがなものかと思うのですが富察傅恒は本当に不幸ですよ!好きでもない女と結婚させられて自分の子でもない子を我が子とし、瓔珞を助けるために命を落とします。
富察傅恒は歴史上ではどのような人物であり、どんな人生だったのでしょうか。調べてみるとあまりにもドラマと違う人生を歩まれていたようなのでびっくりの汀羅です。(汗)汀羅調べであり個人的考察も含まれます。それでは一緒に見ていきましょう~♥
♥文武両道のキャラ設定は歴史と同じ
〈参照〉美しすぎる傅恒様です!
本名 | 富察·傅恒 |
時代 | 清朝 |
出生 | 1722年(乾隆61年) |
逝去 | 1770年(乾隆35年) |
出身地 | 北京 |
爵位 | 一等忠勇公、郡王衔 |
職位 | 領班軍机大臣、保和殿大学士等 |
〈参考〉百度百科:https://baike.baidu.com/item/%E5%AF%8C%E5%AF%9F%C2%B7%E5%82%85%E6%81%92/9833200?fromtitle=%E5%82%85%E6%81%92&fromid=3135
ドラマ瓔珞の富察傅恒は歴史上の人物で同じ名前の「富察·傅恒」がモデルとされています。歴史でもドラマ同様に富察皇后「孝賢純皇后」の弟です。富察家は名門の家柄で親族は高位に就いており皇族とも縁のある由緒正しい家柄です。
街の庶民が「富察家」と書かれた提灯を見て恐れおののくシーンがありましたが、実際そのぐらいのインパクトがある家柄だったみたいです!👀
傅恒と富察皇后の父親は清朝の大臣である「沙済富察·李荣保(リー・ロンバオ)」です。富察皇后は長女、傅恒は九男の末っ子として生まれます。富察傅恒はドラマでも若くして重用された文武両道のイケメン王子様として登場しますが、歴史上でもそのような人物であったようです。
皇后の実の弟であるという高い身分でもあり清朝乾隆的の時代、数百名いる臣下の中でも重臣となり数々の功績を残します。皇帝の親戚でもあり国の重要な人材で20代のうちに頭角を現したそうでまさにドラマ瓔珞の傅恒様♥といったイメージです!
♥傅恒の妻は満州一の美女「瓜尔佳氏」
傅恒様はドラマの中で一途に瓔珞を愛していき愛するがゆえに好きでもない尔晴(アルチン)と結婚するのですが、歴史上での傅恒様は一体誰と結婚したのでしょうか?という気になる点ですが傅恒様の妻は満州一の美女「瓜尔佳氏(グァアルジァ)」です。この人物はとても美しかったということで有名です。
ドラマでは傅恒と尔晴のクレイジーな夫婦生活に釘付けになっていた汀羅なのですが、実際の富察傅恒と瓜尔佳氏は円満な夫婦であったようで子どもは6人います。乾隆帝からの信頼は厚く仕事も順調であり病のため48歳で亡くなります。歴史上の死因は伝染病の感染だったとされており、ドラマでは瓔珞を助けるために解毒草を取りに行き「瘴気(しょうき)の毒」によって亡くなるので同じですね。
♥福康安は傅恒の実子で三男
ドラマ瓔珞の謎のひとつ「尔晴の息子の父親は誰?」という問題なのですが汀羅は瓔珞続編の「金枝玉葉」の中で明かされる「福康安の父親は傅恒の弟である傅謙」という説が有力だと思っているのですが実際はどうだったのでしょうか。
富察傅恒と瓜尔佳氏の間には4人の息子とふたりの娘が生まれています。三男が「福康安(フーカンアン)」です。なので歴史上では福康安は傅恒の息子ということになります!そして続編で福康安の父とされる「傅謙(フーチェン)」ですがドラマでは傅恒の異母兄弟、弟として登場しますが実際は李荣保の八男で傅恒の兄です。傅謙に関しての資料はほとんどありません。
富察傅恒と瓜尔佳氏の2人の娘は乾隆帝の息子と結婚し、4人の息子のうち3には乾隆帝の娘と結婚しています。富察家と皇家がいかに近いものかよくわかります。しかし福康安だけが乾隆帝の子どもと結婚していないのです。おかしいと思いませんか?
〈参考〉百度百科:https://baike.baidu.com/item/%E5%AF%8C%E5%AF%9F%C2%B7%E5%82%85%E6%81%92/9833200?fromtitle=%E5%82%85%E6%81%92&fromid=3135
♥福康安は乾隆帝の私生児であったという噂
〈参照〉3番めの画像が大人になった福康安です!
中国では福康安は乾隆帝の子であった可能性があると言われています。福康安は傅恒の息子ではなく、実は乾隆帝と瓜尔佳氏の子でその都市伝説?がドラマ瓔珞に取り上げられたという説です。乾隆帝は福康安をとても可愛がっていたそうです。福康安は富察家の血筋であり富察皇后の甥に当たります。
乾隆帝の亡くなった息子「永琏と永琮」に福康安が似ていたため乾隆帝はとても可愛がり紫禁城の中で他の皇子と一緒に育てました。その様子はドラマでも終盤に描かれています。汀羅はこれ、謎だったんですがこのような理由だったんですね!また福康安が乾隆帝にとても似ていたとか、満州一の美女である瓜尔佳氏との仲を疑われたのかこのような噂があったようです。
♥まとめ
歴史上の富察傅恒様。名門の家柄で才能もあり美女を嫁にもらって仕事も順調、子どもも孫も生まれます。ものすごく、素晴らしく幸福な人生のように思えます。ドラマでは報われない人生を歩んでいた富察傅恒ですが歴史を学んでなんだかとてもホッとした、不幸じゃなかったんだ!って思え嬉しかった汀羅です。(笑)
史実で見る限り不幸な要素は見つかりませんでしたが実際にどうであったのかはもちろん汀羅も知る由もありません。本当に幸福であったかどうかは謎ですが歴史とドラマ、やっぱり深いところでリンクしてきてとても面白いです。福康安も歴史上に実在する人物です。