【瓔珞(エイラク)】富察皇后はなぜ亡くなった?紫禁城から飛び降りたのは本当?

♕中国ドラマ

みなさま おはようございます。

先日中国ネットで見かけた記事なのですが「瓔珞が皇后になったのは富察皇后が最後に皇帝と一緒になるように託したから」という内容。それに対し「富察皇后が亡くなった時瓔珞は実家にいたじゃないか。乱講!(※乱講は中国語でデタラメ言うな!の意味)」と網友に一喝されていました。(汗)

富察皇后は第40話で紫禁城で飛び降りて自害します。その後皇帝は富察皇后の遺書を発見し、その中で富察皇后は瓔珞を紫禁城の外に出して自由にしてほしいと願い出ているのですがこの遺書の内容で混乱が生じたのでしょうか。

汀羅も混乱してきたので、
富察皇后の死について整理します!💁🏻‍♀️

ということで本日はドラマ瓔珞の中でも号泣シーンである富察皇后の死についてまとめていきたいと思います。富察皇后が自害することになった理由はなんでしょうか。また富察皇后の死は歴史上ではどのようになっているのか解説していきたいと思います。

♥ドラマ瓔珞では自殺、歴史上では病死

息子「永琮」が亡くなった後に紫禁城で自害

中国後宮ドラマでは病死、毒死、首吊、拷問などたくさん人がお亡くなりになるシーンが描かれますが、瓔珞の富察皇后は紫禁城から自ら飛び降りて自害するというかなり衝撃の最後を迎えます。

富察皇后は夜ひとりで紫禁城を歩き高い場所へと向かいます。そして自分の今までの生き方を振り返り飛び降りてしまうのです。その時瓔珞は落馬により大怪我をした父を見舞いに実家に行っており紫禁城にはいませんでした。富察皇后が亡くなった翌日に紫禁城に戻り富察皇后の死を知ります。

富察皇后は生前遺書を遺しておりそれには「瓔珞を紫禁城の外に出し自由にしてほしい」と書いてあり死の間際まで瓔珞のことを気遣っていたことがわかります。皇帝と瓔珞に結婚してほしいという内容はありませんが、皇后の瓔珞に対する情の深さを知った皇帝は瓔珞を殺害せずに圓明園に行かせます。

歴史上では船旅の最中の病死

富察皇后の歴史上のモデルは「考賢純皇后」です。歴史でも考賢純皇后は相次いで子どもを亡くしておりそのショックから立ち直れない皇后を皇帝は船旅に連れ出します。1748年乾隆帝は「東巡(※船旅)」に出発し紫禁城へ戻る途中で考賢純皇后は病気になり37歳で亡くなります。

ドラマ瓔珞ではこの船旅の様子は描かれておらず富察皇后は紫禁城で飛び降りますが、ドラマ「如懿伝(にょいでん)」の富察皇后は歴史と同様に船旅の際に海に落ちたことがきっかけで病気となり亡くなります。しかしながら子どもの死のショックから立ち直れなかったというのは史実もドラマ瓔珞も同じです。

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♥富察皇后が自害した3つの理由

理由その1♥相次いで亡くなった息子の死

ドラマ瓔珞では登場しない人物ですが富察皇后は火事で永琮を亡くす前にその兄である「永琏」を病気で亡くしています。ドラマはすでに永琏が亡くなった後の物語となっているので話しか出てこないのですが永琏はわずか9歳で亡くなってしまいました。

永琏の死でもすでにかなりのショックを受けていた富察皇后ですがその後流産も経験し、ようやく授かった待望の息子が「永琮」なので永琮の死が富察皇后にとても大きな立ち直れないほどのダメージを与えたことが想像できます。

富察皇后を陥れようとする純妃と娴妃の陰謀により長春宮は火事となり永琮は亡くなります。富察皇后は泣き叫んで暴れだし皇帝は皇后を縛り上げてしまいます。死んでしまった永琮をいつまでも抱きしめる富察皇后の姿は本当に泣けました!

理由その2♥皇帝を信じることができなくなった

ドラマの中で乾隆帝と富察皇后はとても良い夫婦です。子どもが亡くなってしまうという不幸に遭遇しますがお互いを思い合い、善良で質素を好んだ富察皇后を皇帝は尊敬し大切にしています。

ですが後宮には高貴妃をはじめたくさんの貴妃たちが皇帝の寵愛を受けており、長男を亡くした後や流産をした時に皇帝が他の貴妃たちと一緒にいることに富察皇后は絶望していたはずです。永琮が亡くなった際、富察皇后は我を忘れて取り乱し皇帝に詰め寄り皇帝を恨んでいるようにも見えます。

富察皇后は侍女であり後に富恒の妻となったアルチンが酒に酔った乾隆帝と一夜を共にして子どもを出産したことを生前に知らされます。このことも大変なショックとなり富察皇后の自殺のきっかけや乾隆帝に不信感を抱く原因になったと思われます。

理由その3♥皇后という地位に限界を感じた

富察皇后の飛び降りる直前の最後の言葉は「生まれ変わったら皇后ではなくひとりの富察容音として生きたい」です。この言葉から富察皇后は皇后になりたくなかった、もしくは皇后をやり続けていきたくなかったことがわかります。

後宮で起こるたくさんの事件や子どもの死などを経験し徐々にこのような考えになっていったのではないかと推測します。超名門の貴族出身であった富察皇后ですが質素倹約を好み金や権力に興味がなかった性格を思うと皇后という地位は実はとても重荷だったのではないでしょうか。

♥まとめ

ドラマ瓔珞でも汀羅の大好きなキャラ富察皇后の最後についてまとめました。汀羅の推測や個人的考察が含まれます。富察皇后の死は第40話で描かれます。第39話で息子「永琮」を出産しその後自害してしまうという急激な展開です。

姉の死の真相を突き止めるために紫禁城に入った瓔珞が皇后となるきっかけのひとつがこの富察皇后の死なのでドラマではとても重要なシーンです。白く清く美しい富察皇后は汀羅を裏切らず最後まで善良なキャラでした!

汀羅♥TAYLOR

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東京都出身。中国語と中国ドラマを愛する自力バイリンガル女子。華流ドラマ歴10年以上。中国語検定2級とHSK5級を取得しています。お仕事で中国・香港・韓国滞在...

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