【如懿伝・瓔珞】富察皇后の史実・詳細プロフィール!歴史上の死因は?子どもは何人?
みなさま おはようございます。
ドラマ「如懿伝(にょいでん)」や「瓔珞(エイラク)」で人気の高いキャラ「富察皇后」の史実をまとめていきたいと思います。如懿伝と瓔珞の富察皇后はどちらが史実に近いのか?という問題ですが汀羅の考えはどちらも近いのですが、結末から言うと如懿伝の方がリアルだと思います。
富察皇后の歴史上の史実・詳細プロフィールをまとめます!🙋♀️💗
ということでぜひともドラマ如懿伝と瓔珞をご覧いただき、この記事を元にみなさま独自の考察をしてみてください。このドラマは2作品とも清朝乾隆帝の時代が舞台になっていますが、登場人物やキャラの設定・物語など大きく相違している部分があります。それでは一緒に見ていきましょう~!
♥富察皇后の史実・詳細プロフィール
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富察皇后基本プロフィール
名前 | 富察氏(フーチャァ) |
別名 | 富察皇后・孝賢純皇后 |
時代 | 清朝 |
出生地 | 順天府(※現在の北京) |
生年月日 | 1712年3月28日 |
逝去 | 1748年4月8日 |
寝宮 | 長春宮(紫禁城内) |
陵墓 | 清裕陵(※現在の河北省唐山市) |
ドラマ瓔珞での役名 | 富察容音 |
ドラマ如懿伝での役名 | 富察琅嬅 |
〈参考〉百度百科:https://baike.baidu.com/item/%E5%AD%9D%E8%B4%A4%E7%BA%AF%E7%9A%87%E5%90%8E/1350636?fromtitle=%E5%AF%8C%E5%AF%9F%E7%9A%87%E5%90%8E&fromid=10610259&fr=aladdin
富察皇后年表
1712年 | 富察氏誕生 | 年齢 |
1727年 | 雍正帝の第4子〈弘暦(乾隆帝)〉と結婚 | 16歳 |
1728年 | 長女〈未命名〉を出産 | 17歳 |
1729年 | 長女〈未命名〉逝去 | 18歳 |
1730年 | 長男〈永璉〉出産 | 19歳 |
1731年 | 次女〈固倫和敬公主〉出産 | 20歳 |
1735年 | 弘暦が即位し皇后となる。 | 26歳 |
1738年 | 長男〈永璉〉逝去 | 27歳 |
1746年 | 次男〈永琮〉出産 | 35歳 |
1747年 | 次男〈永琮〉逝去 | 36歳 |
1748年 | 富察氏逝去・称号は〈考賢皇后〉 | 37歳 |
1752年 | 称号が〈考賢純皇后〉となる。 |
〈参考〉百度百科:https://baike.baidu.com/item/%E5%AD%9D%E8%B4%A4%E7%BA%AF%E7%9A%87%E5%90%8E/1350636?fromtitle=%E5%AF%8C%E5%AF%9F%E7%9A%87%E5%90%8E&fromid=10610259&fr=aladdin
富察皇后家族関係
父 | 李栄保 |
母 | 覚羅氏 |
兄弟・姉妹 | 多数いて全体が不明。有名なのは弟の〈富恒〉 |
夫 | 愛新覚羅弘暦・乾隆帝 |
長男 | 永璉(1730~1738)死後〈皇太子〉の名が贈られる。 |
次男 | 永琮(1746~1747)死後〈哲親王〉と追封 |
長女 | (1728~1729)未命名 |
次女 | 固倫和敬公主 1743年にモンゴルへ嫁ぐ。 |
甥 | 富恒の息子〈福康安〉は乾隆帝の子だという都市伝説あり。 |
〈参考〉百度百科:https://baike.baidu.com/item/%E5%AD%9D%E8%B4%A4%E7%BA%AF%E7%9A%87%E5%90%8E/1350636?fromtitle=%E5%AF%8C%E5%AF%9F%E7%9A%87%E5%90%8E&fromid=10610259&fr=aladdin
富察皇后人物像と歴史上の死因
皇家と深く関わりのある超名門貴族出身で、子供の頃から正統な教育を受けている女子。乾隆帝から深く愛されており亡くなった富察皇后の宮殿や遺品をそのまま遺し、息子の代になるまでその部屋を使わせなかった。数々の愛の逸話あり。乾隆帝は富察皇后だけでなく皇后の親族にも情をかけており、弟の富恒や甥の福康安はかなりの恩恵を受けている。
子どもが次々と亡くなる不幸が起こったのは事実。子どもは病気で亡くなっており富察皇后の体が弱かった可能性もあり。相次ぐ息子の死と娘が遠方へ嫁いでしまったショックも死に影響している?乾隆帝は富察皇后を船旅へ連れ出すが、その船旅の途中で体調を崩し富察皇后は亡くなる。船旅出発の際はすでに体調は良くなかった。
富察皇后ドラマでの死因
ドラマ瓔珞では紫禁城で悲しみのあまり飛び降りて亡くなりますが、これはまず事実ではないです。如懿伝では船旅の最中に足を滑らせて海に落ち、体調が悪化して亡くなります。ですので如懿伝の方が結末は史実に近いと思います。史実では乾隆帝は何度も船旅に出ていますが瓔珞ではその様子が終盤の2話ぐらいしかなく、これも如懿伝の方が史実に忠実かと思います。