中国ドラマ【宮廷の茗薇】茗薇は実在の人物?茗薇(魚寧)と胤祥の史実結末は?
みなさま こんにちは。
中国ドラマ「宮廷の茗薇(めいび)」ですが現代の普通の女子「小薇」が清朝へタイムスリップし愛新覚羅・胤祥と結婚する物語です。ドラマでは清朝時代に実際に起こった皇子争い「九子奪嫡」が描かれており、細かな設定に疑問点があるもののなかなか歴史に忠実なストーリーです。
清朝で茗薇は死に胤祥は旅に出る。😮💨
これがふたりの清朝での結末ですが、史実では一体どうだったのでしょうか。胤祥は茗薇亡き後、清朝で一体どうなった?茗薇はなんで皇太后に殺されたんですか?など気になる部分があります。本日は茗薇と胤祥の史実についてまとめていきたいと思います。レツゴ!♥
♥雅拉尔塔茗薇(やらるた・みんうぇい)=兆佳氏魚寧
〈参照〉茗薇を演じた李兰迪です!💕
現代での名前 | 除薔薇・小薇(シャオウェイ) |
清朝での名前 | 雅拉尔塔茗薇(ミンウェイ) |
清朝で改名 | 兆佳氏魚寧(ユーニン) |
歴史上のモデル | 兆佳氏 |
兆佳氏の生年月日 | 1688年10月 |
兆佳氏逝世 | 1766年3月(78歳) |
兆佳氏の地位 | 十三阿哥の正妻(嫡福晋) |
兆佳氏の子女 | 男子5名、女子2名 |
〈参照〉百度百科:https://baike.baidu.com/item/%E5%85%86%E4%BD%B3%E6%B0%8F/890801
「兆佳氏」はどんな出生?
「兆佳氏」は胤祥の正妻として史実にその名が残っていますが「魚寧」は物語の架空の名前です。「雅拉尔塔茗薇」も架空で歴史上「雅拉尔塔氏」は存在しません。兆佳氏は名門の貴族出身ではなく、父親の馬爾漢は努力により康煕帝の大臣となります。娘を胤祥と結婚させることに成功しますが中~下級の官僚でした。
兆佳氏は康熙44年に愛新覚羅胤祥の正妻として結婚します。ふたりの関係はとても良かったようです。胤祥との間に7名の子どもが生まれています。兆佳氏は馬爾漢の第七女で姉がいたようなんですが詳細が不明で、この人物がドラマに異母姉妹として登場する茗蕙?と思っています。
兆佳氏は78歳で亡くなる
胤祥は若くして病気になっており44歳で亡くなります。兆佳氏は78歳で亡くなっています。ドラマでは清朝で魚寧が先に亡くなりますが、史実では胤祥が先に病死しています。ドラマで茗薇は胤祥を守り死んだとなりますが四阿哥に助けられ生きていた!ということで「魚寧」と名前を変えます。
魚寧はドラマ終盤で皇太后(德妃)に殺害されます。德妃は実の息子である四阿哥が皇位を継ぐことになり四阿哥が魚寧を愛していることを懸念して今後のために排除します。ドラマでは若くして毒殺される魚寧ですが史実では78歳まで生きた長寿です。胤祥が亡くなった後どう暮らしていたのでしょうか。
♥愛新覚羅胤祥(あいしんかくら・いんしょう)十三阿哥
〈参照〉胤祥を演じた王安宇です。コメントに「柏原崇の感覚~」とあり!👀💗
清朝での名前 | 愛新覚羅胤祥(いんしょう) |
歴史上のモデル | 愛新覚羅胤祥 |
生母 | 敬敏皇貴妃・章佳氏 |
何番目の皇子? | 康煕帝の十三阿哥 |
生年月日 | 1686年11月16日 |
逝世 | 1730年6月18日(※雍正八年五月初四)(44歳) |
地位 | 和碩怡親王 |
〈参照〉百度百科:https://baike.baidu.com/item/%E7%88%B1%E6%96%B0%E8%A7%89%E7%BD%97%C2%B7%E8%83%A4%E7%A5%A5/4278242
史実では病弱で44歳で病死
ドラマ同様に史実でも雍正帝(四阿哥)が最も信頼してた兄弟であり、大臣として雍正帝と一緒に政務を行っています。資料を見ると胤祥はとても体が弱かった印象で、若い頃から病気で苦労していたようです。結核や風湿などの病気で雍正帝が胤祥のために祈祷を行ったという記述もあります。
ドラマでは四阿哥が即位し魚寧が亡くなった後に紫禁城を去ります。その後の清朝で胤祥がどのように暮らしていたのかは描かれておらず、史実で若くして病死した胤祥が現代に生まれ変わって小薇と出会うというのがドラマの最終回の結末です。
小薇が受け取った手紙の日付は胤祥の命日
現代で小薇は清朝で胤祥の書いた手紙を読みます。日付は「雍正8年5月4日(※旧暦)」となっていますが、これは史実の愛新覚羅胤祥の命日と同じです。小薇は現代ですでに胤祥の死んだ日を知っているため、この手紙が亡くなった日に書かれたことがわかります。胤祥が現代に蘇ることを彷彿とさせる内容です。
胤祥の妻は6名、子どもは14名
胤祥はドラマでは魚寧と一夫一婦制の仲睦まじい夫婦!と言った感じですが史実では妻は6名です。正妻(嫡福晋)は兆佳氏で、他にも富察氏、烏蘇氏、瓜爾佳氏(※以上3名が側福晋)、石佳氏、那拉氏(※以上2名が庶福晋)です。子どもは男子9名、女子4名の計14名います。
清朝史実「九子奪嫡」はドラマ「宮廷の茗薇」で描かれているよりももっと壮大で壮絶だったと汀羅は想像しています。胤祥は皇太子派で四阿哥と協力関係ですが康煕帝から嫌われていた時期もあったようで、加えて政務や病があり大変な人生を歩まれたのではないでしょうか。
♥まとめ
ドラマでの茗薇と胤祥は一途に愛を貫き見ていて感動します。茗薇が皇太后に毒殺され若くして亡くなるというストーリーは作り話だとしても、茗薇と胤祥は仲の良い夫婦であったと想像したいです。史実では胤祥の妻は茗薇だけではなく子どももたくさん生まれており、胤祥は病気により兆佳氏を残して先に亡くなります。